ずさんな農地行政が農業の自壊を招く (日経ビジネスオンライン)


日経ビジネスオンライン 2009年2月24日
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20090223/187014/
ずさんな農地行政が農業の自壊を招く
壊れていく農村(1)


Author: 吉田鈴香


耕作放棄や違法転用によって、消えていく農地。機を見て農地を売り抜こうとする「偽装農家」。それを見て見ぬふりをする農業委員会と農林水産省――。明治学院大学経済学部教授、農業経済学者の神門善久氏は、これらの問題を早くから指摘してきた。今回から2回にわたり、著者の吉田鈴香神門善久教授に話を聞く。


吉田 このところ、農業が注目を浴びています。金融危機後に「次は農業」というブームのようにもなっています。

神門 農業はよくも悪くも注目されていますが、注目されたことが、むしろ悪い方に作用していると、僕は非常に憂いています。


今農業についてあれこれ言っている人は、本当の農業はどうでもよくて、農業のことでイメージを膨らますことを楽しんでいる。この数年で、いいかげんな農政提言が出るたびに、農業は間違いなく悪くなっています。農政論議が華やかですが、簡単に政策提言が書けることに大きなワナがあるのです。


吉田 どんなワナでしょうか。


神門 農政提言のワナは、大きく3つあります。


第1は、「規制にしがみついているJA(全国農業協同組合)と農水省をやっつければ、農業は活性化する」というもの。2番目は「農業には秘められたビジネスチャンスや、世知辛い現代社会が忘れた価値があり、農業の新たな価値に目覚めた人が確実に増えている」というもの。そして3番目は「食糧危機が来るかもしれないから、皆で自給率を上げよう」というものです。


この3つの提案は論理が単純明快で、読者にもウケる。ただ3つに共通している致命的な欠点は、事実と異なることなのです。


第1に、農水省もJAも規制にかじりついたりしていません。何が起きても「投げっぱなし」の状態です。最近、農地を狙う産廃業者が増えていますが、マスコミが規制緩和を強調するたびに、彼らは“漁夫の利”を得ます。


吉田 産廃業者は、土地所有者に了解を得ているのでしょうか。それとも?


神門 皆「自分は知らなかった」と言いますね。地権者は「善良な業者だと思っていた」、業者は「地権者の言う通りにやった」と言う。行政も「気がつきませんでした」と。皆が無責任な状態なのです。農水省もJAも、これらを規制しようという気は全くない。精神論だけは言いますけれどね。


3つのワナの2つ目、「農業のビジネスチャンス」についてですが、この『食糧』(注)という本を見てください。今から約20年前に出版された本ですが、目次を見れば、今でも通用することが分かると思います。農業の抱える問題については昔から語られており、状況は変わっていないのです。


(注)『食糧』 農産物摩擦、コメの減反に見られる場当たり政策、飼料の全面輸入に頼る畜産、大型機械のローン返済に苦しむ農家、農薬依存の田畑など、生産、流通の現場で起きている不合理の数々を指摘し、日本の農業生産のあり方を問うた書籍。朝日新聞社刊。


例えば、ワタミも農業事業を始めて話題になりましたが、縮小しました。企業の農業参入は、実は40年ぐらい前から行われています。契約栽培という形ですね。今、「農業の新しい動き」と大げさに報じられるたびに、実質的にどこが新しいのか、僕は首を傾げてしまいます。


実際、ある週刊誌の記者からは「新たな動きと紹介したいのだけれど、どこが新しいのか解説してください」という相談を電話で受けたことがあります。「あなたが分からないのに、読者が分かるのですか?」と私は逆質問しました。


吉田 ユニクロファーストリテイリング)も農業事業を始めましたが、撤退しました。


神門 ビジネスには、試行錯誤がつきものです。ワタミユニクロが間違っているとは思わないし、うまくいかず事業から撤退しても驚いたりしません。むしろ、彼らが農業事業に参入した時に「新ビジネス」と言ってメディアが大騒ぎすることが問題です。人々の心の中に、農業に対する憧れやノスタルジーがあり過ぎるのでしょう。


3つ目の「自給自足率を上げる」については、昨年雑誌でも書きましたが、食料自給率を上げても消費者に安心をもたらすとは言えません。ここ数年の穀物価格の急騰も、歴史的に見ればよくある短期変動の範囲内に過ぎません。だいたい8年前には、穀物価格下落が問題になっていて、「向こう20年近く農産物価格は下落基調を維持する」と国際機関が予測していたぐらいです。


また世界全体では食料の絶対量は足りています。自国の食料危機のみを問題にするのは、先進国のエゴなのです。


それよりも重要なのは、今、大変な不正が起きているということです。農業の最大の問題は、農地と労働で違法・脱法行為が急拡大していることです。転用規制も税制も、法律の条文はどんどん無視されます。


耕作放棄して雑種地になっていても、農地と称して相続税を逃れる。いかがわしいダミー農業生産法人が農地を買い漁っても歯止めがありません。農地法の規制が新規参入を阻害しているというのは、私には信じられない話です。問題の本質は、農地規制を骨抜きにする者がトクをして、真面目に農業をするものが報われないということです。


吉田 「3つのワナ」に陥るよりも、実態に目を向けよということですね。昨年から報道されていますが、先生は以前から「消える農地」「偽装農家」を指摘してこられました。


神門 優良農地は違法転用などによって住宅地や商業施設にされ、地権者が「濡れ手で粟」の利益を得ています。農地扱いだから相続税の丸逃れをしてしまうのです。


耕作放棄も蔓延している。稲作で農業の体裁を整えながら、機を見て農地を売り抜けようとしている「偽装農家」も多く、農業委員会も農水省もこれを看過しています。農地の“錬金術”に騙されてはいけません。そして、産廃業者の流入。これらには農政部や政府、農業委員会も絡んでいるでしょう。


吉田 新幹線の車窓から見える田んぼや畑にのどかな農村の様子を感じていましたが、実態は違うのですね。


神門 日本社会の圧倒的多数は「のどかな農村」「農村はいいところ」という幻像を持っています。だからそれに反するようなことを僕が言うと、悪者にされてしまうのですが…。


しかし、農村は変わってきています。例えば農村には「都市部とは違って、昔ながらの集落機能や規範がある」と思うかもしれませんが、実際にはそうでもないのです。既に、農村にもミーイズムやモンスター化が来ている。


こうした現象が起きた時、ひょっとしたら都市部よりも農村部の方が壊れていく速度は速いかもしれません。そして、集落機能が壊れた時の反動はかなり大きいと思います。これだけ耕作放棄や違反転用が起こるというのは、集落機能の低下が遠因とも言えるでしょう。


吉田 例えば収穫物を夜のうちに盗まれた事件もありましたが、もしかしたら内部の犯行かもしれず、それも集落機能の低下の1つかもしれません。


神門 多分そうでしょう。僕がこのように、農村の実態をあえて発言しているのは、自分が島根の田舎の出身だからなんですよ。雨漏りするようなオンボロな家で、五右衛門風呂と真空管ラジオはあっても電話がない生活で、子供の頃は田んぼの中で遊んでいました。だから、誰よりも僕は農地に対する愛着は強いんです。


学生時代も、全国各地の農家で働きました。北海道の農場で牛を追いかけていたこともありますし、和歌山で自然農業を手伝ったり、京大の高槻農場、園部の牧場にも行きました。


吉田 実際に、農業の現場を見ていらっしゃったわけですね。


神門 ただ体力的な点などで、農作業が向いていないと分かりました。十勝の農場でアルバイトしていた時、僕の世話の仕方が悪くて牛が2頭ストレスになって死んでしまったことがあり、それが悔やまれます。長い年月を、野良で働いてきた人たちにはいつも敬意を持ちます。


そういう立場の僕だからこそ、「農村にノスタルジーを描き過ぎてはいけない。実は農家も、都会と同じようにミーイズムの横行やモンスター化が進んでいる」と言い続けなければいけない、と思うのです。


●消費者が王様になってしまった


神門 40年前の消費者は、自分たちから一生懸命生産者の方へ近寄っていきました。しかし今の消費者は、「王様」になってしまった。生協の食品偽装問題が起きたのは象徴的です。


実は1960年代には、中身と表示の違うジュースや缶詰などが「うそつき食品」として問題になり、偽装や毒物混入が話題になりました。この頃消費者は「自分たちも流通にコミットすべきだ」として、生協活動が盛り上がったのです。


ところが今や生協は、単なるスーパー、単なる宅配業者になってしまった。でも、スーパーや宅配を本職にしている業者には、生協はなかなか勝てません。大手スーパーには勝てないが、自分たちの雇用を守るためには何とかしなきゃいけない。肥大化した生協の組織を維持しようとすると、コストダウンへの無理な圧力がかかる。それが、ミートホープジェイティフーズの提供する安価な食料品に飛びついてしまう原因です。だから、生協でああいう事件が続いたんです。


吉田 その結果、消費者、生産者、流通業者の関係が希薄になり、お互いを考えなくなっているということですね。


神門 消費者は「王様」になった結果、生産現場の人たちが何に悩んでいるかは分かっていません。


ちょっと臭い肥料をまいたら「馬糞のようだ」と苦情を言われ、それでいて「有機食品じゃないと困る」と不満を言われる。最近消費者は、農業生産の現場の苦労を無視して、トレーサビリティー(生産履歴の追跡)ばかりをうるさく言います。生産現場は、それに対応しなければいけません。製品の細かい表示をするために、ペーパーワークが増える。大手スーパーと取引をするには、資料をたくさん提出しないといけないんです。昼に農作業して疲れ切っているのに、夜にまたペーパーワークですよ。消費者は「生産者の顔が見える関係がほしい」とか言いますが、こういう農家の実態にこそ、きちんと向き合ってほしいです。


流通業者も困っている。何かの拍子で、自分たちが扱った食品に予想以上の農薬が出たら悪評が立って商売がつぶれてしまう、とびくびくしています。良心的な流通業者はつぶれそうな目に遭っています。


●中山間農業地域を強調するのは、農水省の目くらまし


吉田 農水省の発表では、農業の生産の約6割は中山間農業地域にあるということですが、耕作放棄地は、平野より中山間農業地域に多いのでしょうか。


神門 6割まではいかないでしょう。むしろ、今の耕作放棄の拡大速度から言うと、平地や都市的地域の方が速いくらいです。


吉田 平野部の耕作放棄地は、3%から6%になったとも言われています。


神門 実際には、6%では済まないかもしれません。公式統計というのは耕作放棄地の調査漏れが多いですからね。しかも、耕作放棄になっているのに関係者が農地だと言い張っているところがたくさんあります。平地農業地帯というのは本来、収益を生むはずの農業地帯です。そこで耕作放棄が発生しているのは、担い手不足のせいにはできません。「偽装農家」による非営農目的での農地所有や、農地の転用期待こそが、平地農業地帯の耕作放棄の主たる原因です。


中山間農業と平地農業は、別に議論すべきだと思います。高齢化した中山間農業の耕作放棄地の映像だけ見せておいて、「高齢化が耕作放棄の主要原因」というストーリーを作るのは、平場の優良農地で発生している農地の無秩序化から目をそらす方便です。


吉田 農水省は人々の目を「偽装農家」から逸らし、「中山間農業地域の高齢化問題」に目を向けておきたいんですね。


●「減反」の議論は既に終わっている


吉田  JAの機能も低下し、法律も機能していない。この状況で、農地政策や農業の振興を市場ベースで活性化していくには、どうしたらいいでしょうか。


神門 社会全体が農業について拙速な解決を求める傾向があるのも、私の憂慮していることです。人々が農業の実態から目をそむけて虚構の農政論議に花を咲かせているうちに農業問題がどんどん悪い方向に向かってきたのですから、これを逆方向に持っていくのは大変なことで、早い解決を求めずじっくりと取り組むべきです。


土地転用だけでなく、減反論議もそうです。目下の減反論議は実態と乖離した抽象論になっています。その結果、産廃業者と偽装農家ばかりが“漁夫の利”を得かねない状況です。解決を求めるには、実態をきちんと見るところから始めなければいけません。


まずは、どれぐらいいいかげんなことが行われているかを洗いざらい出すべきです。農地だと、農地基本台帳と実態が全然合っていない。農地パトロールがいいかげんである。「5年以内で耕作放棄地解消」と言っているけれど、これは違反転用の追認に使われる可能性が高いんです。農外転用も、耕作放棄地解消策の 1つとして農水省が容認しているからです。


コメに関して言えば、減反についても、誤解が蔓延しています。コメの生産調整は2004年に選択制に移行し、同時に生産調整の基準は作付面積ではなく生産量に切り替わっています。つまり、実は文字通りの減反制度は終わっているんです。


吉田 なくなった制度を議論すること自体、変なのですね。


神門 現在もコメの生産調整は行われていますが、それはコメの生産量を基準にしています。農家の自由意志で生産調整に参加した場合、稲作以外の作物を水田に作付けることに対して助成金がもらえる代わりに、過剰米の発生を防ぐためにコメの出荷制限を受けるという、従来とはまったく異なったやり方に転換しているのです。こんな基本的なことすらも知らないまま、減反撤廃を訴える人が多いのには驚かされます。


現下のコメ政策の最大の問題は、農水省が運用の仕方をコロコロ変えてしまうことです。例えば、食糧安全保障以外の目的での食用米の政府買い入れはしないと宣言していたのに、2007年に「米価が低すぎるから」という理由で制度を反故にして、価格吊り上げの目的で食用米を買い上げてしまった。あまりにもコロコロと変えられてしまうので、もはや当初の政策設計が良かったか悪かったさえも検証できない状態です。


農業政策では、こういう類の「前言撤回」がどんどん出る。まずはこれらを告発するのが先決です。マスコミや識者は、「企業の農業参入」「食育」「減反反対」などとスローガンを唱えるより前に、農水行政をきちんと理解し、その運用をしっかり監視するべきなのです。


コメの流通はルールをコロコロ変えられるので、真面目に農業をする人たちが悲鳴を上げます。農業機械の購入や作付けローテーションなどは何年も先を見越して計画するものなのに、農水省の前言撤回のたびに振り回されるのです。結局のところ、政治力が強い偽装農家ばかりが利益に浴することになる。そういう不公正がまかり通っていることこそ、マスコミや識者が告発すべきことです。


実態を詳らかにし、皆に意見を求めるというプロセスがなければ真の改革ではありません。立派な為政者なり識者なりが「天の声」のように改革をするのでは、真の改革とは言えないのです。

(後編に続く)