エンジェルとして、日本でベンチャー企業を育成しています(Tech-On! )

Tech-On! 2010/08/05
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20100804/184802/
エンジェルとして、日本でベンチャー企業を育成しています IAIジャパン 理事長 八幡惠介氏


米国では、独創的で野心的なベンチャー企業が次々と誕生し、既存企業を代替しながら新産業を育てていく仕組みが有効に働いている。その典型例は米国のネットスケープ・コミュニケーションズ(Netscape Communications)社からグーグル(Google)社までの一連のベンチャー企業群の出現によるIT産業の隆盛だろう。


これに対して、日本ではベンチャー企業がうまく育たないといわれている。特に、先端技術を基に従来にない新規事業を興して、既存企業に取って代わるようなテクノロジーベンチャー企業はほとんど育っていない。その原因はいくつか考えられているが、その大きな要因の一つは、ベンチャー企業リスクマネーを供給するベンチャーキャピタル(VC)の役割不足だ。VCの投資規模は、日本は米国の20分の1程度と少ないことと指摘されている。それ以前の原因として、 VCに先駆けてベンチャー企業の創業を支援する“エンジェル”と呼ばれる個人投資家が大幅に少ないことが要因の一つと分析さている。


エンジェルと呼ばれる個人投資家は、以前に自分でベンチャー企業を創業した先輩たちであることが多い。このため、エンジェルは起業家がベンチャー企業を立ち上げる構想を練る際に、経営人材や資金の集め方、新規事業のビジネスモデルの構築の仕方などを具体的に助言できる。自分が苦労して得た経験に基づいて助言するため、実践的で有効な支援になる。この点で、エンジェルは単なるリスクマネーの出し手ではなく、起業家が最初につまずき易い点を有効に指摘できる助言者としての役目を果たす。


米国では、起業家が考案したビジネスモデルを、エンジェルが実現可能なビジネスモデルにつくり直す過程を経ることで、ベンチャー企業の成功確率を高めている。そして、エンジェルがVCに本格的な投資をするように働きかける仕組みを取っている。エンジェルという実務者の視点からビジネスモデルがブラシュアップされていく仕組みに仕上がっているのだ。



日本でもまだ少数派ではあるが、エンジェルが活躍し始めている。その代表格がNPO(非営利組織)法人 IAIジャパン理事長の八幡惠介氏だ。“日本初のエンジェル”と自他ともに認める八幡氏は、ベンチャー企業を設立したい起業家への支援を続けている。半導体関係の技術者と経営者を務めた職務経験を生かし、日本などの半導体関係の研究開発型ベンチャー企業30社を支援してきた。「ベンチャー企業を20社程度まとめて支援しないと、投資のポートフォリオが組めないからだ」と説明する。八幡氏に、エンジェルを続けている経緯とその楽しみを聞いた。


日本初のエンジェルとして有名な八幡氏は2008年9月に「投資できる起業 できない起業」(発行は光文社)というソフトカバー本を上梓した。日本のベンチャー企業の失敗事例が載っている点で、当時話題を集めた。八幡氏が執筆した動機は、1997年から日本で始めたエンジェルとしての活動経験から得たベンチャー企業創業の心得を若い世代の起業家に伝えたかったことだった。ベンチャー企業の起業家に対して、「創業前に十分に準備することがどれだけ重要かを伝えたいとの思いは今でも変わりない」という。起業家は自分の友人関係という狭い範囲から、一緒に起業する経営陣を選ぶことが多い。これに対して、エンジェルが持つ人脈から最適な人材を探し出すことが、経営陣の最適化を進めることが多い。VCも経営陣の構成は重視する項目の一つだ。投資する前に、VCは経営陣の入れ替えを求めるケースも珍しくない。


2000年6 月に設立した IAIジャパンは起業家支援をうたっているエンジェル組織だ。同NPOのWebサイトには「起業家の皆様へ」という相談窓口サイトを設けている。この窓口を通して、創業希望者が面会を求めてくる。八幡氏は「一般的に、多くの起業家は相談に来るのが遅いケースが多い」と感想を漏らす。日本ではベンチャー企業を創業し、難問に直面してからはじめて、相談に来る起業家が多いからだ。


NPOのWebサイトは、「起業塾」というサイトを用意している。起業前に準備することを伝えるセミナーなども数多く開催している。日本では起業家の卵の周囲にベンチャー企業の創業に成功した経験者が少ないため、創業時のノウハウを学ばずに、熱意だけでベンチャー企業をつくるケースが多い。一般的には、起業家は自分が持つ技術シーズへの過信が多く、肝心の市場でのマーケティング力などが弱いケースが多い。この最初の創業プランの有効性を検証する場もあまりない。


八幡氏自身は投資対象を土地勘がある半導体関連の研究開発型ベンチャー企業に絞っている。その理由は「これまでに半導体業界で築いてきた豊かな人脈が生かせるからだ」と説明する。例えば、適切な社外取締役を紹介したり、販路の助言ができる人材を紹介したりできるからだ。逆にいえば、専門分野以外は助言や支援ができないから、守備範囲ではないという。エンジェルは得意分野を持つ個人投資家がネットワークを組んで、各起業家が持ち込む案件に対処する。各エンジェルの豊富な経験に基づく具体的な助言や支援が創業プランのブラシュアップに役に立つからだ。


●米国企業のストックオプションから原資を捻出
八幡氏がエンジェルになった動機は「お世話になった半導体業界への恩返し」という。大阪大学を卒業後にNEC日本電気)に入社し、半導体事業に携わった。その中では、九州日本電気(現在のルネサス セミコンダクタ九州・山口の一部)の立ち上げなどを手がけ、1981年には米国NEC Electronics.Incの社長に就任した。この間に米ニューヨーク州にあるシラキューズ大学(Syracuse University)大学院に留学し、半導体関係などで多くの友人を得た。留学や仕事などを通して、米国の半導体業界での人脈を豊かにしたと同時に、米国の半導体ベンチャー企業が成功する仕組みなども学んだ。


84年にNECを退社すると、すぐに米LSI Logic Corp(LSI Corp)の創業者のW.J.コリガン氏から同社日本法人の立ち上げを指揮する社長就任を頼まれた。同社が半導体業界の人脈から最適な人物を探した結果だった。このLSI Corpは米国カリフォルニア州シリコンバレーで起業し成功したベンチャー企業だった。ベンチャー企業の創業に成功した人物が、次世代のベンチャー企業の経営陣を育成する仕組みを間近で学んだという。


LSI Corpの日本法人が軌道に乗ったのを機に「引退しよう」と考えた時に、今度は米国半導体製造装置大手のApplied Materials.Inc.から日本法人の社長就任を頼まれ、引き受けた。この米国企業2社から報酬の一部として株式をストックオプションとして得たことが、エンジェルを始めるきっかけになった。八幡氏はストックオプションを基に約8億円の資産を築いた。八幡氏は、「幸運にも今後の生活には十分な資産を手にできたので、半導体業界への恩返しを考えた」という。この資産の中の約2億円をエンジェルとしての投資資金とした。ストックオプションから得た資金は、給料を貯めて築いた資産とは異なり、「宝くじが当たったものと同じように、ある意味無かったものと割り切ることができる」という。この結果、「社会貢献としてのベンチャー企業育成の投資に回した」。


日本の技術者が日本企業の経営陣の一角を占める役員にまで登り詰め、ある程度のまとまった資産を築いたとしても、「給料が原資の資金は投資には使えないのが当たり前の心情」と、日本企業の経営者や技術者がエンジェルにならないことを弁護する。もちろん、八幡氏は単なるパトロンではない。投資したリスクマネーは将来の成功報酬として回収し、それを次のベンチャー企業創業に投資するサイクルを想定している。成功報酬はストックオプションの形態を取ることが多いようだ。


ベンチャー企業の創業成功者が次のエンジェルに

野心あふれる起業家が独自の技術シーズを基に独創的なビジネスモデルを考案し、ベンチャー企業を設立しようとしても、事業計画を実際に構築する当座の資金がなければ、会社はできない。予想以上に、ランニングコストがかかるからだ。


米国では、VCが起業家に直接投資する前に、エンジェルと呼ばれる個人投資家がまず、ある程度の資金を投資するケースが多い。この初期の投資資金を活用し、起業家は新規事業の構築を進め、事業性を見通せる段階まで進める。これを基に、VCなどに改良したビジネスモデルを提示する。エンジェルはどのVCに投資を仰ぐかを助言する。VCも新規事業がある程度進められ、採算見通しが“見える化”してから投資判断できるため、いい案件には必要な巨額を投資できることになる。


こうしてベンチャー企業創業に成功し、ある程度まとまった資産を築いた起業家は、次は自分がエンジェルになる。米国ではベンチャー企業の成長に応じて、経営陣を入れ替えて行くのが普通だ。このため、創業者以外でも資産を築ければ、エンジェルになれる。この結果、エンジェルがある程度の人数で出現する。先輩の世代が次世代の経営陣を経験や人脈を基に育成していくのである。


八幡氏は「創業期のベンチャー企業への投資は楽しい」という。その時点での最新の技術動向を学ぶモチベーションができ、自分が得たノウハウや人脈などの“知的資産”を次世代に伝承できる。特に、「アイデアあふれる若い技術者や経営者などの起業家との付き合いは刺激的で学ぶことが多い」という。


●エンジェルとして規範ある姿勢で起業家を支援
八幡氏はエンジェルとして、これまでに30社のベンチャー企業に投資した。残念ながら投資先企業からの成功報酬としてのリターンはまだ1社もない。この事実が、日本の厳しいベンチャー企業の状況を端的に物語る。2008年のリーマンショック以前には1社がIPO(Initial Public Offering、新株上場)が見込めそうな機会があったが、遠のいてしまったようだ。八幡氏は日本の半導体産業の将来を気にかけている。世界市場の中で、日本の半導体ベンチャー企業が優れた新規事業を興し、日本のものづくり産業の隆盛に貢献することをエンジェルとして支援する構えだ。


エンジェルは起業家にとってリスクマネーを提供してくれる大事な人物だ。だからこそ、「エンジェルは規律ある姿勢で起業家と付き合うことが重要になる」という。このため、IAIジャパンのWebサイトの目立つところに、エンジェルとしての基本的な規範ルールを示している。節度ある姿勢で、真摯(しんし)に起業家の創業を支援することをうたっている。


イノベーターの先輩が次世代のイノベーターを育成することは簡単なようで難しい課題だ。先輩が後輩をボランティア的に指導する“メンター”には、助言するスキルがいると指摘されている。指導される相手の立場になって指導するやり方などのスキルを学ぶことが不可欠だからだ。イコールパートナーとしてつきあえるかどうかがカギになる。


IAIジャパンのミッションの一つは日本でのエンジェル育成である。規律ある姿勢で、後輩となる起業家をどのように育成していくかを学ぶ場を提供する。地道な活動だが、日本にエンジェルを根付かせる重要な草の根運動である。


(注1)NPO法人IAIジャパンは、2000年の設立当初は米国のエンジェル組織のIAI(International Angel Investors)の日本支部として設立され、その後、日本のNPO法人としての組織に変更されている。


(注2)日経BPが発行する「日経エレクトロニクス」誌は2008年12月15日号の特集「味方は金持ちエンジニア」で日本のエンジェルの状況を詳細にリポートしている。