【NYオヤジ流レシピ】シーザーサラダ 映画スターも愛した伝説の一品 (MSN産経ニュース)

mikamurata2010-01-17


MSN産経ニュース 2010.1.17
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100117/amr1001170701000-n1.htm

1920年代、カリフォルニアから国境をまたいだメキシコの町、ティフアナにシーザー・カルディーニ(1896−1956)経営のレストランがあった。メキシコ生まれのシーザーさんは当時、サンディエゴに住んでいたが、レストランは国境の南に持っていた。なぜなら、当時米国は禁酒法時代。サンディエゴに店を持っていたのではアルコールを出せなかったのである。


とある年の7月4日、米国の独立記念日の夜。年に一度のお祝いを祝うため、国境を越えてやってきたアメリカ人たちで歓楽街は大にぎわい。とうとう、店の食材が切れてしまった。しかし、そこは創意工夫とひらめきに定評があったシーザーさんのことだ。試行錯誤しながら手近にあった材料を使い、新種のサラダを作ってみた。


といって、単なる思いつきだったわけではない。イタリア料理のシェフでもあったシーザーさんは、実は前々からロメインレタスにレモン汁、アンチョビ、オリーブオイル、チーズを加え、客の前で混ぜ合わせて提供したらどうだろうか、とアイデアを練っていた。そしてその夜、実行に移してみた、というわけだ。


これは売れる!この新鮮さだ!


さあ大変なことになった。彼の名前を取り、シーザーサラダと名付けられたこのサラダはまたたく間に評判を呼び、国境を越えてやってくる米国人客でレストランは超満員。予想以上の客足に、レストランはうれしい悲鳴を超えてパニック状態となった。


映画の都ハリウッド界隈(かいわい)では当時、シーザーサラダを食べるためだけにティフアナへ行くことが粋、とされたほどだったという。レストランの常連客にはチャーリー・チャプリンクラーク・ゲーブルなど大物が名を連ね、それがさらにうわさとなって、米国はもとよりヨーロッパ、そして世界に名声が広まった。


もともとこのシーザー・サラダ、シェフやウエイターがカートにサラダボウルを載せて客の前に登場し、目の前で調理するのが本来のやり方だ。いうまでもなく、レタスのシャキシャキ感を損なわないためである。私自身、お客さまの前でスクラッチから、つまり材料だけを用意して初めから調理したことが何度もある。


アンチョビ、ニンニクをすりつぶし、1〜2分お湯につけた生卵を割り入れ、レモン汁とオリーブオイルを混ぜてドレッシングを作る。そこに冷やしたロメインレタスをほうり込み、パルメザンチーズで風味を付けた上でクルトンを添える。その手際のよさといったら…。いやはや、華麗なるサラダ・ショーといっても言い過ぎではないだろう。


もともとハリウッドで人気を博したメニューだけあって、後年になっても銀幕のスターたちに愛好者が多かった。私自身の記憶をたどっただけでも、チャーリー・チャプリンの3番目の妻とされるポーレット・ゴダードが思い浮かぶ。彼女はシーザーサラダが好物で、私が昔働いていたパーク・アベニューの高級アパートメント・ホテル、リッツタワーのレストランでよくこれを頼んでいた。ちょうどチャプリンと別れて、「西部戦線異状なし」で知られるドイツの作家、レマルクと再婚したころの話だ。ティフアナで食べたシーザーサラダが忘れられなかったのだろう。「目の前で作ってちょうだい」と注文されたのを覚えている。


あるパーティーで、大女優ローレン・バコールにお出ししたこともある。ちょうど、映画「オリエント急行殺人事件」(1974年)が公開されていたころのことだ。彼女は、当時熱愛中だったフランク・シナトラとのお忍びのデートだったようだ。


現在、プレーンなシーザーサラダはダイエットにぴったりの食事として定番である一方、ロブスター、エビ、グリルチキン、カニ、魚類などを加えたバリエーション・シーザー・サラダもメーンディッシュとして人気がある。いろんなものを載せるようになったのはここ10年くらいのことだ。


シーザー・サラダは、「50年代にアメリカで作られた最も偉大なレシピ」とパリのグルメ協会でたたえられたほどの伝説的メニューである。私も、数あるサラダの中でも1、2を争う名作だと思う。


日本へ伝わったのは、1949年のこととされる。進駐軍の将校用宿舎として接収されていた帝国ホテルでのクリスマスパーティーで作られたのが、日本初のシーザーサラダだといわれている。(加藤孝良)