悲鳴を上げる中国農業 (日経ビジネスオンライン)


日経ビジネスオンライン 2009年5月14日
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090507/193943/?P=1
悲鳴を上げる中国農業
ある教授が農村で目にした“悲惨な病理”


Author: 篠原 匡(日経ビジネス記者)


中国農業が悲鳴を上げている。土と水の汚染、担い手である農民の疲弊は、国内消費量の20%に当たる野菜を中国からの輸入に頼る日本にとって他人事ではない。


『農民も土も水も悲惨な中国農業』(朝日新書) http://www.amazon.co.jp/gp/product/4022732598 を上梓した愛知大学の高橋五郎教授は徹底した農村調査で中国農業の病理を浮き彫りにしている。現地の農民と語り、土や水に触れる異色の学者に中国農業の現状を聞いた。


 ―― 残留農薬をはじめ、中国の農産物の危険性を指摘するものは少なくありませんが、その中でも『農民も土も水も悲惨な中国農業』(朝日新書)は、農村調査に基づく徹底したルポルタージュという点でかなり趣が異なります。中国農業の危険性に関するニュースを理解するためにも、先生が見てきたお話を伺えないでしょうか。


●「おふくろの味」ではなく「袋の味」が幅を利かす日本

高橋 初めに申し上げておくと、僕はいわゆる中国専門家ではありません。あくまでも農業の専門家、食料の専門家です。多くの中国専門家は中国そのものを研究していますが、私は中国という国を研究しているのではなく、中国で生産されている食料について、農作物を実際に作っている農民について、さらには、どういう農地を使って農業をしているか、どのような生産をしているか――といったことを研究しています。


中国の農業を本格的に研究し始めたのは15年ほど前になりますが、それまでも様々な国の農業を研究してきました。日本はもちろんのこと、アジアや米国、ヨーロッパなどで農民に話を聞き、農業の実態を調査してきました。私の関心事は、日本で消費している食料がどのように作られているか、農民がどのように食料を作っているか、その暮らしぶりはどうなっているか、というところにある。


―― 中国の農業を研究しようとしたきっかけはどこにあったのでしょう。


高橋 僕の出発点は日本の食生活があまりにひどいことから始まっているんです。現代の食生活は「おふくろの味」ではなく、加工食品を中心とした「袋の味」が幅を利かせています。ただ、食品の加工度が高くなればなるほど、原材料は見えにくくなり、食品の安全性にかかわるリスクは大きく広がる。


こうした加工食品の多くは中国産の原料を使用し、中国で製造しています。じゃあ、中国に多くを依存している野菜や果物の生産現場はどのようになっているのか。食料自給率が落ち込んでいる今、中国農業の現場を見なければ、食生活の崩壊や自給率改善について何も言うことができない。そう考えたことがそもそもの動機でした。


●地中の塩分が溶け出した地下水


―― 15年前というと、中国産の農作物が直接的にも(加工食品などで)間接的にも入ってきた時期でしょうか。


高橋 そうです。この十数年の変化にはすさまじいものがあります。1997〜98年を境に、中国は食糧不足の国から食料過剰の国に転換していきました。


統計的にいいますと、98年頃に穀物の生産量が5億トンを超えました。世界の穀物生産量が約20億トン。穀物生産の25%が中国で作られるようになったわけです。それ以降、中国では食べ物が余り始め、それとともに、食品を輸出入する企業が介在し始めました。


日本企業は現地に出向き種を持っていき、肥料や農薬のまき方、収穫の仕方など様々な技術移転をしました。そして、生産した農作物を日本に輸出したり、中国で加工した加工品を輸出したりするようになったわけですね。90年代の後半以降、特に2000年以降にこうした変化が加速していきました。


―― 15年前と今を比較すると、中国の農村や農業は変化しているのでしょうか。


高橋 「よくない」という意味では変わらないのですが、「よくない」の質が変わってきている。


初めに、水の話をしましょう。日本と比較するとよく分かりますが、中国の水の分布は恐ろしく偏っている。日本の場合、水不足はたまには起こるものの、水の分布状況は北も南もそうは変わらない。


ところが、中国は北と南で分布状況が大きく異なる。中国では北と南を長江で分けますが、北にある水の量は中国全体の18%に過ぎない。だから、そもそも北は水不足になりやすい。それが、最近ではさらに深刻になっていて、井戸水が枯れ始めた。特に、山東半島から北で顕著ですね。


井戸水が枯れ始めると、井戸をより深く掘らなければならない。しかし、井戸が深くなるほど、地下に浸透していた塩分が溶け出してしまう。実際、 200〜300メートルの深さの井戸の水を舐めると、アルカリ臭く、真水とは違う味がします。これは農作物生産にとってはかなり深刻な状況です。


●まるで“下水”の水を畑にまく惨状


―― 水質汚染もひどいようですが・・・。


高橋 北の方は河川灌漑が少なく、ため池が多いのですが、そのため池がかなり汚れていますね。現場に行くと驚きますが、ため池全体をアオコが覆っており、水が全く見えない。そこに、ホースを突っ込んで、ポンプで揚水し、畑に水をまいている。その水は、本当に悲惨なものですよ。


中国の農村はほとんど浄化設備がありません。そのため、油、石鹸、洗剤、雨水、し尿などが一気にため池に行ってしまう。アオコが繁茂しているのはため池の富栄養化が甚だしいため。悪臭もすさまじい。そういう水を畑にまいているんですよ。


―― 下水で植物を育てているようなものですが、その水で作られた農作物は大丈夫なのでしょうか。

高橋 ダメに決まっているでしょう。雑草でも何でもそうですが、植物は水があれば育つ。ただし、食べ物として相応しいかどうかは別問題ですよ。まあ、水がないからしょうがないんですわ。地下水でさえ量が減っていますからね。本来であれば、浄化槽に行くべき水をためて使う、という状況にならざるを得ない。


●村の周辺を流れる「コーヒーよりも黒い川」


―― それは、企業が所有する農地も同様なのでしょうか。


高橋 農民も企業も使っている水の条件は同じですからね。それに、本でも書いていますが、川自体が汚れている。


―― 「真っ黒な水が流れている」と本に書いてありましたね。


高橋 本当に真っ黒ですよ。


―― コーヒーみたいな感じですか。


高橋 いや、コーヒーより黒い。本当に黒。


―― 100メートル手前から悪臭がしたという話ですね。


高橋 本当ですよ。すさまじい臭いですよ。


―― 周りに人は住んでいるんですよね。


高橋 慣れとは恐ろしいものですね。汚染でいうと、長江もひどいものですよ。上海の河口に行くと、ゴミだらけ。上流から流れてきたゴミがたまっている。それから、上流の武漢には遊覧船がありますが、その遊覧船では観光客が食べた食べ残しをそのまま川に捨てていた。食べ残しがたくさん出ますよね。それをウェートレスがテーブルクロスごと丸めて川に捨てるんですよ。


断っておきますが、僕は中国が嫌いでは決してありません。でも、本当に汚れているのだから仕方がない。これまでお話ししてきたことは1つの例ですが、川の汚染は大変なものですね。


●水だけでなく、土も荒れ始めた


―― 「水が死んでいる」という話はよく分かりました。それでは、土はどうなのでしょう。


高橋 土も荒れています。僕は農村に行くと、必ず畑や水田を触ることにしています。表現は難しいのですが、僕が見ているのは土の固まり具合。水田は軟らかいですよね。同じ土でもよくかき回されている水田は固まりがありません。


水田は触れば分かるんですよ。土を触って、部分的に固まりがあれば、その水田はよく耕していないということ。逆に、よく耕している水田はそういう固まりがない。畑であれば、土の硬さやにおいで判断します。この土を見てください(そう言うと、高橋教授はビニール袋に入った土を持ってきた)。

―― それは、ダメな土ですか。


高橋 ダメな土です。


―― 硬いですね。カチカチ。


高橋 まあ、これは取れるだけましな方ですよ。グラウンドのようにカチカチで、指を突っ込んでも取れないところもよくあります。もちろん、すべてではありませんが、そういう土で野菜を作っている。


―― 日本の土はもっとふっくらしていますよね。


高橋 もっと細かいです。


―― においを嗅ぐという話でしたが、においで何が分かるんですか。

高橋 農薬の有無や肥料の中身などは分かりますよ。


―― これまでサンプルはどのくらい取ったのですか。


高橋 さあどうでしょう。今まで行ったところは全部、取っていますけどね。年に2カ月は中国に行っていますからね。まあ、時々、田んぼに落っこちそうになりますけど。ずるっと滑ってね。周りの中国人は「あの日本人、何しているんだ。虫でも捕ってるのか」と思っているでしょうね。


●農地に愛着を持たない農民は土を愛さない


―― なぜ土が荒れてしまうのでしょう。


高橋 農地所有制度が私有ではなく、公有、あるいは国有のためでしょう。私有制度であれば、所有者は農地に対して継続的な投資を行う。投資をすれば、生産量の増加という見返りが入ってくるわけですからね。ところが、公有ないしは国有だと、農地に誰も投資をしなくなる。その結果、農地は荒れていく。

このように、農民が農地に愛着を持たない中国は農地が荒れていく条件を持っている。そこにきて、人糞肥料をまくため、さらに土が荒れる。


―― どういうことでしょうか。


高橋 中国の農村では今でも人糞肥料を使っています。実際、農村に行くと、し尿がためられた人工の穴が目につきます。確かに、人糞には、窒素、リン酸、カリといった肥料成分が豊富に含まれており、肥料としての効果は確実に見込める。ただ、中国の場合、人糞肥料を生のまま畑にまいてしまう。


―― 何が問題なのでしょうか。


●大量の農薬散布は人糞肥料が原因


高橋 人糞肥料を作る場合、畑に縦穴を掘って樽を埋め、そこに寝かしておく必要があります。そうすることで熟成が始まり、生の状態に比べてバクテリアが作用して肥料効果が上がる。と同時に、病原菌や寄生虫の卵は死滅し、においも消えていく。かつて日本の農村にあった野壺が地中に埋められ、フタがされていたのにはちゃんと訳があったのです。


ところが、中国の農村に野壺はなく、し尿がたまった穴があるだけ。このままでは、人糞は発酵しません。発酵しないということは、病原菌や寄生虫の温床になっているということ。それをそのまま畑にまくわけですから、土壌では細菌などが繁殖していく。


そうすると、その雑菌を殺菌するために、様々な農薬が必要になる。中国農業は農薬の大量使用が批判されていますが、農薬漬けの背景には人糞肥料の問題がある。化学肥料を抑えるために人糞肥料をまく。雑菌を殺すために農薬をまく。そうすると、土地が荒れるので、化学肥料が必要になる。すると、ますます土地は荒れていく。生産量に影響が出るので人糞をまく。そして、土は汚れていく。


―― まさに悪循環ですね。


高橋 そう悪循環。さらに言うと、農薬の使い方を知らない農民も少なくない。文字が読めない人も多いですし、メガネを持っていない農民もいる。農薬のビンには使用方法が書かれているんですが、読めないために、目分量でかけてしまう。農薬は劇薬ですから、目分量でやっちゃうと大変なんですよ。


それと、土壌が荒れる要因には、循環の発想がないということも大きい。日本やヨーロッパでは家畜を飼い、堆肥を作って畑や田に還元していくでしょう。中国にはこういった発想がありません。中国の農業は基本的にはモノカルチャー。畑作や畜産を大規模にやるものの、循環の技術がないため、家畜の糞はゴミになってしまう。それが、今度は水を汚すわけですね。中国の農村を回ると、農業の基本的な循環や有機農法を発展させる基礎的な技術が行政を含めて十分に理解されていないと感じますね。


●自分の人生を自分で選べない中国の農民


―― そう考えると、土作りや水の管理、肥料の使い方、循環の手法などについて、国や企業がもっとコミットすべきなのでしょうね。


高橋 何らかのルートでコミットすべきでしょう。ただね、農民に教えることは大切だけど、何せ数が多い。日本の場合、農協などに農家を集めて研修や講習会を開くことができる。ところが、中国の農村では、どこを見ても農民を集める施設がないんですよ。従って、一人ひとり相対で教えていくしかない。これはものすごい時間がかかる作業です。
中国の法律が書いてある小冊子。法律を熟知しないと、実地調査では思わぬところで足をすくわれる

中国には、技術指導などを担う農業専業協会という農協のような団体があります。ここの指導員を教育するという方法はありますが、先ほど述べた理由で、指導員が農民に指導していくのもえらく手間がかかる。コミットするとしても、相当に大変だと思いますよ。


―― 水、土と来て、農民も疲弊しているとのことですが・・・。


高橋 今度は農民ですね。なぜ農民が悲惨かというと、彼らは何も持っていない。日本と比較すると、日本の農民は少なくとも農地を持っている。これ自体がまた問題なんだけど、自分の資産を持っているわけですよ。それに、出稼ぎに行くのも自由だし、移動も自由、農業を辞めるのも自由。日本の農民は自分の人生を自分で選ぶことができる。


ところが、中国の農民は自分の人生を自分では選べない。都市に出ようと思っても、農民戸籍で出ていくしかありません。農民戸籍で就ける仕事は建設労働者や運送業者、ホテルの下働き、食堂のウェートレスといったところ。こんなものしかないわけです。


●都市住民と農民の格差は約3倍


―― 大変厳しいですね。


高橋 1978年に改革開放路線が始まりますよね。実は、82年まで農民と都市住民の格差は縮小していましたが、 83年以降、この格差がぐーっと拡大していった。その要因は海外からの投資の急増。つまり工業化が始まったわけですね。


工業の場合は技術革新によって生産性を大幅に高めることができますが、自然の摂理に左右される農業は稲作の期間が半分になったりはしない。工業は技術革新によって、資本は何回転もしますが、農業は同じように回転数を高めることはできません。


工業化の結果、都市住民や工場労働者の所得は増加していきましたが、工業ほどに農業は発達せず、農民は取り残されていった。都市住民の年間所得は1万 2000元。それに対して、農村は約4000元に過ぎない。この格差は今も拡大しています。


―― やはり、悲惨ですね。

「中国の農民は自分の人生を自分では選べない」と高橋教授は言う


高橋 しかも、社会保障制度は整っていない。1人当たりの農地面積も日本の4分の1程度しかない。それで豊かになれ、と言っても無理な話ですよ。農業には未来がない。自分の息子、娘には何としても都会に出てもらって、いい暮らしをしてほしい、と考えるのは親の当然の愛情表現ですよね。今、それが起きているんですよ。


―― わずかな農地さえ手放す農民が増えている、とのことですね。


●南から北に移動する「渡り鳥農民集団」


高橋 中国では「農業竜頭企業」と呼ばれる企業集団に農地の使用権を売却する農民が後を絶ちません。生活のためにわずかな農地を手放し、「雇われ農民」として、指示通りに農作物を作っていく。それも、決して高いとは言えない給料でね。


―― そうなると、 “小作人”と同じになってしまいます。


高橋 最後の砦である農地さえもなくなってしまうと、本当に流民になるしかない。本でも紹介しましたが、安徽省湖北省などでは、農民の収穫を手伝う「渡り鳥農民集団」が存在します。彼らは農地の使用権を持たないか、持っていてもごくわずかのため、別の農民のために小作人として働いている。


この小作人集団はトラックに分乗し、渡り鳥のように北上していきます。農作物の生育は暖かい南部から北へと北上していきますよね。それに合わせて、北上しながら農作業を手伝う。これはもう労働としては限界的でしょう。農民の中でも限界農民。


しかも、この渡り鳥以下の農民も大勢いる。地方では、早朝に街を歩くと、道路の両側にスコップやクワ、ツルハシを持った人々が並んでいる光景に出くわします。彼らは皆農民。道路に立って、雇ってくれる人を待っているんですよ。すると、街の建設現場の人たちが来て、「じゃあ、おまえ」と人買いのごとく選び、トラックに乗せて連れていくんですよ。


―― 果たして、中国の農業はこのまま存続できるのでしょうか。


高橋 そこのところは難しいですね。中国は恐ろしく底なし、いい言い方をすれば、懐の深い国ですから。中国には7億人の労働者がいますが、そのうち3億人は農民。米国の人口よりも多い労働ストックを抱えているというのはやはり強い。しかも、低賃金でいくらでも働くわけでしょう。

●高リスクの農業を前提に成り立つ日本の食卓


―― 担い手という面では問題ないかもしれませんが、安全面や品質は不安が残ります。


高橋 確かに、農作物の安全性やそれを作る農民の幸せを考えると、疑問が残りますね。中国の水や土は疲弊している。農民も土地離れを進め、工場労働化し始めた。彼らには社会保障もなければ、将来展望もありません。企業が潰れてしまえば一蓮托生で路頭に迷う。


野菜など日本は多くの農作物を輸入しています。安心安全の面で中国産の農作物輸入は大きく落ち込んでいますが、加工食品などの形で日本に輸入されています。もはや中国は生鮮や冷凍、加工など広い意味で日本の食料庫になっている。今の日本の食卓はリスクの高い農業を前提に成り立っている。そのことを忘れるべきではないでしょう。


―― それにしても、著書には中国農業の悲惨な一面がこれでもか、と書かれていましたが、出入り禁止になったりしないのですか。

●『中国農業』に続く次回の調査の課題は貧困。「早く現地で調査をしたいです」


高橋 中国の知人にも心配してくれる人がいますが、そんなことを気にしていたら、本当の学問はできないですよ。


―― 次はどんな調査をするつもりですか。


高橋 今度は貧困です。


―― 貧困?

高橋 中国の農民の貧困を集中的に調べようと思っています。貧困の現実や原因、将来の貧困解消の可能性などについて。貧困から抜け出すのは難しいけど、貧困解消のために地元の人々がどれだけ努力しているかを知りたいんですよ。早く行きたくてウズウズしています。